はじめに
ことあるごとに「自由でありたい」と語る岩﨑大昇くん。
20歳を目前に控えた2022年の雑誌インタビューで「大人のなり方にルールブックもガイドラインも正解も不正解もないから、僕は大人の年になっても自由に生きます。大人とか子供とか関係ない。自分は自分。楽しくいきましょうよ!」と話していた。
同じ頃に出演したラジオでは、一緒に出演していた事務所の先輩の戸塚祥太くんに「戸塚くん、自由とはどんなものですか?」と問いかけた。そのとき戸塚くんはこう答えた。「自分で掴み取るものだよ、大昇が手にするはず」。
2025年のKEY TO LIT(キテレツ)結成直後、雑誌の座談会で“グループで叶えたい夢”を聞かれた大昇は「自由の体現者になりたい」「突き抜けた自由ね。そんじょそこらの自由じゃないです」と答え、30歳の未来の自分にも「突き抜けていてほしいなぁ。突き抜けた自由を手に入れていてくれって思う」と一貫した内容のメッセージを送っていた。ファンに対しても「僕はこれからも自由にやっていくしみんなもそうであってほしい。みんなの目に映る僕がずっと魅力的であり続けられるように、これからも自分らしく自由に生きていきたいと思ってます」と伝えてくれた。
2026年で24歳になった大昇がこれまで重ねてきた言葉をたどると、彼にとって“自由”とは、単に気ままに過ごすことではなく、ある種の覚悟や責任を持って実現させるものなのだと感じさせられる。
KEY TO LITの1stライブ『WAKE UP THE FOOL』と2ndライブ『NEO CLASSICS』で、大昇くんはそれぞれ『Feeling Good』と『Mack The Knife(マック・ザ・ナイフ)』という洋楽スタンダードを1曲ずつ歌った。ライブを作るときにどこまで意図していたかはわからないけれど、2つのナンバーの成り立ちや歴史的背景に思いを馳せると、大昇くんが追い求める「自由」と共鳴しているようで胸が熱くなる。『Feeling Good』と『Mack The Knife』のそれぞれが元々持つストーリーを紐解きながら、大昇がこれらをライブでパフォーマンスした姿を見たときの感動を言葉にしていく。
『Feeling Good』——天まで突き抜ける解放的な自由
『Feeling Good』は、ミュージカル『ドーランの叫び、観客の匂い』(原題:The Roar of the Greasepaint – The Smell of the Crowd)のために書かれた曲。1964年のイギリス初演は不評に終わったものの、翌1965年にアメリカのブロードウェイでブラッシュアップして上演されると人気を集めたミュージカルだ。
このミュージカルは、特権階級の”サー”(Sir)と労働階級の”コッキー”(Cocky)が様々なゲームを繰り広げる様を描いている。自分に都合よくルールを書き換えるサーが勝ち続け、割を食うコッキーが負け続けるという、社会の構造を”人生ゲーム”に見立てた風刺的な寓話劇だ。
だが、『Feeling Good』を歌うのはどちらのキャラクターでもない。なかなかサーに勝てないコッキーの前に突然現れる、当時の社会でさらに下位の存在として虐げられていた“黒人”(The Negro)だ。この”黒人”は1場面にしか登場しない異質な存在でありながら、サーの押し付ける理不尽なルールをあっさりと無視し、勝利を奪う瞬間に『Feeling Good』を高らかに歌う。そんな“黒人”の姿を目にしたコッキーは、長年自分を縛り付けていたサーの支配から脱する勇気を得ることになる。
『ドーランの叫び、観客の匂い』がブロードウェイで開幕する数カ月前には、アフリカ系アメリカ人のジャズ歌手であり、公民権運動の活動家でもあったニーナ・シモンが『Feeling Good』をカバーしたことで、この曲は現実社会でも自由のアンセムになった。歌詞に登場する“新しい夜明け、新しい日、新しい人生”は、まさに抑圧から解放される喜びや、魂の再生を象徴していると思う。
私自身、大昇の少しくぐもった厚みのある声質にはずっとエラ・フィッツジェラルドやベティ・カーター、アレサ・フランクリンのような、ジャズやソウルの女性シンガーの歌が似合うと思っていた。
だからライブ初日、客入れの激しいBGMが止み客電が落ちた瞬間、大昇の吐息混じりのアンニュイな歌声で英語詞が聞こえてきて、願いが叶ったことに息をのんだ。どこから歌っているのか姿は見えない。憂いを孕んだメロディを繊細なタメと間で揺らしながら、広音域を行き来するアカペラに引き込まれていく。特徴的な「It's a new dawn, It's a new day, It's a new life」という歌詞で『Feeling Good』だと確信し、大昇が「And I'm feeling good」と歌い上げた瞬間、心臓がバクバクした。
バンドインしてからはずっと夢心地だった。世界中の人が歌い続けてきた『Feeling Good』の、岩﨑大昇バージョンが、今この場で紡がれている。信じられない。大昇が、ジャジーな伴奏に乗せ気持ちよさそうに喉を震わせ、声をしなやかに伸ばしている。大昇のこんなにスモーキーで艶のある歌声は聞いたことがなかった。ゾクッとする格好よさ。観客席から「なにこれ新曲?」という不思議そうな声が聞こえてきたけれど、「違うよ!名曲だよ!」と心の中で叫んだ。
『Feeling Good』の直後、メインステージにかかっていた紗幕が落ちると、そこにはギラギラ輝く「奇」「天」「烈」という3つのオブジェと、なかでも特大の「天」に立つ5人の姿があり、大昇くんは「天」の1画目の横棒の上に立っていた。なにもかも都合がよすぎて、夢かと思った。大昇が天の頂点に君臨した。しかも大昇は『Feeling Good』のときからそこでスタンバイしていたということになる。大昇が天の頂で「freedom is mine」との腹の底から響き渡る声で歌っていた事実。大昇は、高潔で真っ直ぐな自由、だれにも邪魔されない自由の象徴だと、このとき思った。
『Feeling Good』の最中、紗幕には映画『ジョーカー』を彷彿とさせる人影が映し出され、階段から落ちたり、自分の分身と口論したり、ドラゴンに飲み込まれて這い上がったりといったドラマチックなストーリーが描かれていた。映画ファンなどの間では『ジョーカー』の階段シーンにこの曲を被せたファン動画が話題になったこともあり、『Feeling Good』には抑圧からの解放に伴う“ダークヒーローの覚醒”といった文脈が重ねられることがある。グループ再編などの理不尽に直面してきたジュニアの状況を思えば、『Feeling Good』の演出は、逆境を逆手に取って覚醒していく主人公たちの物語を提示しているように見えた。KEY TO LITのメンバーは、ライブタイトルの『WAKE UP THE FOOL』について、「自分たちはタロットカードの愚者(THE FOOL)のように、何者でもないけれど、何者にでもなれる可能性を秘めた存在」という気概を込めたと説明した。「あえて一番下の立場を引き受け、そこから這い上がってやる」というメッセージが、これ以外の様々な演出からも感じられた。
でも大昇の歌声が『Feeling Good』で放っていたのは、そうした泥臭さや情念も心地よく洗い流してしまうような、圧倒的な解放感とエネルギーだった。まるで鳥も太陽も風も、魚も川も花も、すべてが自分の友達だと言わんばかりにスケールが大きく、他者と比べるような次元は超越して、ただ絶対的な自由だけを1点に見つめているような気高さがあった。
KEY TO LITの初ステージお披露目前から周囲では色々な予想が飛び交っていたし、私自身も期待と不安が混ざり合う気持ちだった。けれど、ずっと歌ってほしいと願っていた系統の曲を大昇が歌ってくれたことへの興奮と、最高の『Feeling Good』が不安を一瞬で吹き飛ばした。自由を歌う大昇で自分たちの物語の幕を開けようと決めたKEY TO LITへの信頼は、いきなり限界突破した。
『Mack The Knife』——“楽しい”を追求する自由
『Feeling Good』がディープなメロディに乗せて爽やかな歌詞を歌う曲であるのに対し、『Mack The Knife』は陽気な曲調に恐ろしい歌詞を乗せた、真逆のギャップを持つナンバーだ。
『Mack The Knife』の原曲は1928年にドイツのベルリンで初演された音楽劇『三文オペラ』の劇中歌『メッキー・メッサのモリタート』(原題:Die Moritat von Mackie Messer)だった。極悪非道の主人公メッキー・メッサの恐ろしい噂を、ストリートシンガーが手回しオルガンを弾きながら通りすがりの通行人に歌いかける楽曲だ。モリタート(Moritat)という言葉の意味は、「手回しオルガンの伴奏に合わせて、殺人事件やセンセーショナルな出来事を歌う大衆娯楽」で、同じ意味の言葉は日本語にも英語にも存在しない。
『三文オペラ』の面白さは、なかなか警察に捕まらないメッキーがやっと絞首台に送られたとき、女王の恩赦で助かるという、シニカルな展開にある。ブレヒトが半ば投げやりに書いたとされるこの作品は、敗戦後のインフレや格差、犯罪が横行していた当時のベルリンの退廃的な世相にぴったりハマり、予想外の大ヒットを記録した。1年間ロングラン上演され、1931年には映画化までされたものの、1933年にナチス政権が誕生すると風刺的な内容が弾圧され、ブレヒトや作曲家クルト・ヴァイルは亡命を余儀なくされた。まさに表現の自由を奪われた歴史を持つ作品といえる。
日本では早くも1932年に上演され、アメリカでは亡命したブレヒトによって1933年に初上演されたが、これは不発に終わる。アメリカで成功を収めたのは2度目の上演となった1954年の公演だった。メッキーをマックと英語名に変え、『Mack The Knife』という英題が付けられたのも英語上演のときだ。
そんな『Mack The Knife』に「自らの力で未来をこじ開ける自由」という意味を加えたのが、1959年にこの曲をジャズアレンジで世界的ヒットへと導き、37歳で死去したアメリカの歌手ボビー・ダーリンだった。
ブロンクスの貧しい家に生まれたボビー・ダーリンは幼少期に心臓を患う。15歳までしか生きられないと診断され、無事に15歳を通り過ぎてからも常にタイムリミットの焦燥感を抱えて生きていた。23歳のとき、ポップス・ロックシンガーとして活動していた彼はそのイメージを払拭しようと『Mack The Knife』に目をつけるが、レコード会社は「君には渋すぎる」と反対したそう。だがダーリンは押し切り、結果的にグラミー賞を獲るほどの大成功を収めた。実際に今、Spotifyで『Mack The Knife』を検索すると、ボビー・ダーリン版がトップに表示される。
そして2025年、ボビー・ダーリンの生涯を描いたミュージカル『Just In Time』がブロードウェイで開幕した。ジョナサン・グロフが主演を務めたこの舞台を、大昇くんは現地で観劇している。
『Mack The Knife』は、1965年の『NHK紅白歌合戦』で初代ジャニーズがカバーした、旧ジャニーズ事務所にゆかりあるナンバーだ。大昇くんがおそらく初めて『Mack The Knife』を披露したのは2024年の帝国劇場公演『ActONE』で、大昇くんのギターと今野大輝くんのベースによる弾き語りデュエットだった。次に2026年3月、大昇くんがミュージカル番組『芳雄のミュー』に出演した際、井上芳雄さんとのデュエット曲に『Mack The Knife』を選んだ。番組内で大昇くんは、2025年に『Just In Time』を観劇したことで改めて魅力に気づいたと語っていた。さらに、現在ツアー中のKEY TO LITのライブ『NEO CLASSICS』では、猪狩蒼弥くんと佐々木大光くんと共に3人でダンスを含めたパフォーマンスを披露している。
現在ツアー中の『NEO CLASSICS』のステージでは、いつもは賑やかな年下組3人がスタイリッシュに決める。前半は猪狩、大光、大昇と順にソロで歌っていき、それぞれクールに魅せつつも、後半3人の声が合わさるユニゾンでは隠しきれないやんちゃさが滲み出る。ダンスの個性も相まって、最高の魅力を放っている。
大昇が担当するソロパートはここだ。
Now, on the sidewalk
Oh, Sunday morning, uh-huh
Lies a body just oozin' life
Eek! And someone's sneaking 'round the corner
Could that someone be Mack the Knife?
このパートで大昇が歌い出すと空気が一変し、曲がいきなり”音楽”に変わる。大昇は言葉に節をつけて歌う領域を超えて、もはや声という楽器で演奏しているかのよう。「Oh」とか「uh-huh」のようなスキャットやあいづちを自分のものにして乗りこなすセンスが抜きん出ている。「Eek!」は本当に「ヒィッ!」という声と表情!(笑) 大昇の「歌うの楽しい!」という気持ちが曲のテンションの上昇と共鳴していく。耳と目が楽しくて、こちらの気分も爆上がり。「Mack the Knife?」の声の震わせ方、気持ちよすぎる。もはや聴く麻薬。
ブロードウェイでボビー・ダーリンの「自分のやりたい音楽を楽しむ姿」に触れたからこそ、いま大昇くんが表現する『Mack The Knife』には、「歌うこと、自由であることを心から楽しむ」という表現者としてのワクワクしたエネルギーが爆発しているように思えてならない。
ちなみに別の角度からも大昇とこの曲の親和性を感じている。大昇のほがらかな人柄と穏やかな口調の中に時折悪戯っぽい毒気をのぞかせるところが、陽気なリズムで“悪”を優雅に包み込む『Mack The Knife』の邪悪さに通じるというか、大昇と曲が互いに魅力を引き立てあっているなとこっそり思っている。ぼーっと見ていたら見落としてしまうような、注意深く見ていないとわからない毒気。
自由の高みへ——共に自由になる「快楽」
私は大昇くんが「自由」を単なる憧れとして語るのではなく、それを歌とパフォーマンスで体現している姿に心を震わせられているのだと思う。
2025年頃から、大昇は自分が快楽主義の人間だと言うようになった。快楽主義というと原始的なものだけでも、刹那的に今この瞬間の欲望を叶えるキレネ派や、苦痛の少なさを重んじるエピクロス派など、種類は色々だ。ここで思い出すのは、大昇が「俺たちの元気な姿で日本を元気にしたい」とライブの挨拶で何度も口にしてくれることと、「自分たちが自由にしてる姿を見て、みんなも自由になってほしい」と伝えてくれていること。この考え方は、ジョン・スチュアート・ミル的な功利主義に照らし合わせると理にかなっている。ミルは以下のように言った。
Mankind are greater gainers by suffering each other to live as seems good to themselves, than by compelling each other to live as seems good to the rest.
(人間は、他人に好ましいと思われる生き方を強制するよりも、各自が自分にとって好ましいと思える生き方を互いに許容し合う方が、より多くのものを得られる)
大昇にとっては、自分一人だけが自由になること以上に、自分が圧倒的に自由な存在であり続けることで、それに影響された観客や周囲が自由になっていくこと、その連鎖を生み出すことこそが最大の喜びであり「快楽」なのかなと今は想像する。
空高く羽ばたく鳥のようなしなやかさと、運命を切り開くナイフのような鋭さを胸に宿しながら、岩﨑大昇という表現者は、これからも私たちをまだ見ぬ自由の高みへと連れて行ってくれるはずだ。